「宿題」は「勉強」なのか?

インターネットの掲示板で面白い質問を見つけました。

あんた宿題ばっかしてないで勉強しなさい
息子
宿題は勉強じゃないのかよ…
質問:「宿題」は「勉強」じゃないんでしょうか??

親としては「宿題」は作業であって「自分のためになる『勉強』」をして欲しいという趣旨だと思います。

子どもとしては「机に向かっている時間は勉強と認めて欲しい」というところだと思います。

ところで「宿題」は「勉強」には当たらないのでしょうか?

勉強とは?

勉強:学問や技芸などを学ぶこと
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日本語的な意味において勉強といえばこの程度です。

それ以上は、何が勉強で何が勉強でないか、なんていう基準はありません。

意見としては色々なものがあるかとは思います。

勉強とは予習・復習のこと。宿題は復習だから勉強です。
強制的に課せられたものは勉強ではない。自発的に学ぶことが勉強だよ!
宿題や提出物は作業だから勉強ではない。

課題に取り組む目的が大切

A小学校の4年1組では、4年生になっても九九がまともに暗唱できない子が散見されたため、担任の先生は九九を暗唱できるようにする宿題をクラスの児童全員に与えました。

山本一郎くんは、九九の暗唱は完ぺきで十の段から二十の段までも暗唱できるほどでした。
一郎くんがこの宿題に取り組むことは勉強といえるでしょうか?

逆に、九九の暗唱に自信のない佐藤裕子さんがこの宿題に取り組むことは勉強といえるでしょうか?

「宿題」を「勉強」という人にとっては「どっちも勉強だ!」といえるかもしれません。

「宿題」を「作業」という人にとっては「どっちも作業だ!」といえるかもしれません。

でも一般的な感覚からいえば、

佐藤裕子さんがこの宿題に取り組むことは勉強といえるかもしれませんが、

山本一郎くんが時間を費やしてこの宿題に取り組むことはほとんど意味のないこと

ではないでしょうか?

あなたが今、机に向かって課題に取り組んでいるとします。

それは何のために(何の目的で)取り組んでいるのでしょうか?

その目的はあなたにとってどれだけ意味があることなのでしょうか?

目的もわからずに課題に取り組んでいるだけだとすれば、それは作業をしているだけにすぎないでしょう。

逆に、目的を理解したうえで自分にとって意味のあることだと考えて課題に取り組んでいるのだとすれば、どんな些細な宿題であろうと立派な勉強と言えるでしょう。

すぐにカテゴライズしたがる人からすると、

じゃあ出来ないことを出来るようにすることが「勉強」で、すでに出来ることを繰り返しするのは「作業」なのか!?

という人もいると思います。

しかし、それもおかしな話です。

たとえば受験勉強。

受験勉強は、知らないことを知ると同時に、知った内容を極限の緊張と限られた時間の中でアウトプットできるようにする必要があります。

そのため、すでに知っていることであっても何度も何度も繰り返します。

これは受験のための「勉強」であって「作業」とは言わないのが一般的でしょう。

作業ならしなくても良いのか?

次に問題になるのは

「目的のない単なる繰り返しであれば、やる必要がないのか?」

ということです。

結論からいえばケースバイケースです。

たとえば私の住む地域は95%以上の人が地元の公立高校を受験するような田舎です。

そして公立高校の入試は「受験当日の点数」と「中学3年間の学業成績・内申」を合算して合否を決めます(当時の話)。

試験当日の点数さえ良ければいいというわけではありません。

中学3年間の学業をおろそかにできないということです。

そのため私は、意味のないような繰り返しにあたる宿題をコツコツと続けていました。

決してその宿題を通じてなにかの「学び」を修得しようとしたわけではありません。

中学校の成績を下げないため、宿題を提出するための「作業」として続けました。

私の親父曰く

ショーカラ親父
提出のためなら答えを写せばいいじゃないか

ということでした。

確かに(笑

それ以来、提出目的の「作業」は答えを写すようになりました(笑

でも自力で取り組むことが自分のためになるようなものであれば、提出する前提として自力で宿題に取り組んでいました。

この場合には「勉強」でもあり「作業」でもあるというべき状況だと思います。

時には、「作業」であってもその「作業」自体が目的になり得るものです。

「作業」ならやらなくてもいいということにはなりません。

「作業」だってやる必要があるときがあるのです。

勉強と作業を区別するのは無意味

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とにかく私が言いたいのは

「何が勉強で、何が作業なのか?」を考えることは意味のないこと

ということです。

同じ課題に同じように取り組んだとしても、目的によって「勉強」というべき場合もあれば単なる「作業」にすぎない場合もあるということです。

「宿題」が「勉強」に当たるか、単なる「作業」かなんてただの言葉遊びです。

それを区別することにまったくと言っていいほど意味はありません。

重要なのは、いま自分が取り組んでいる課題が勉強なのか作業なのかではありません。

そんなことはまったくもってどうでもいいことです。

本当に重要なことは

いま取り組んでいる課題の目的は何なのかを理解し、
それが自分にとって必要なのかを考え、
その目的が必要だと考えた場合には、目的を実現するための課題として適切かどうかを検討すること

です。

たとえば、目的を達成するための課題として不相当に多い課題であれば、適度なところまで取り組んで、それ以降は答えを見てもいいわけです(ショーカラ式)。

(あんまりいい顔はされないので「答えを見て写しています!」とは人には言わない方がいいと思います(;´・ω・)yo)

親としては、子どもの取り組んでいる課題が「作業だ!」というのであれば、もっと具体的に指摘してあげるべきでしょう。

「お前は○○分野はよく出来るんだから同じこと何回もやらなくても、苦手な△△をした方がいいだろう」

とか。

子どもとしては、親が理不尽にも「宿題は作業!」だと言ってきたのであれば、

「自分は○○のこの部分を理解してるけど間違えやすいから繰り返しやってるんだ!」

と言わなければ、「宿題は勉強!」だという意図は伝わらないでしょう。

いま取り組んでいる課題が「勉強だから必要」とか「作業だから意味がない」という考えは、まったく意味のないことです。

その課題が自分に必要な勉強なのか、意味のない作業なのか、それを理解しておくことの方がよっぽど重要です。



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